2012年1月26日木曜日

レコード文化の火を絶やすな、はもう古い その2

普通に考えると、全世界で数百人しか聞けないフォーマットで自分の作品をリリースする行為を理解するのは難しいのかもしれない。自分の作品をたくさんの人に聞いて欲しくないのか?CDとかネット配信もしていろんな人の耳に入るようにしたらいいのじゃないのか?そうした方が話題になってさらに大きな成功につながるんじゃないのか?だいいちそんな枚数売れたところでレコードのプレス代しか回収出来ないんじゃないのか?などなど...

でも、もうみんなそういう音楽の拡散に興味が無いんじゃないのかな?

そういう数を増やしていく音楽配給のシステム自体が瀕死なので、そのシステムに加わる必要性も感じてないんじゃないのか?

マスで音楽を拡散させずに、逆に数と流通する場所を限定することで自分の音楽とそれを必要としている人とのダイレクトで密接な関係を作り上げることが可能だし、その方が重要だと思ってるのではないのか?

マスの中に埋もれてしまっている自分たちの音楽を必要としている人たちに届かせるために、宣伝したり、雑誌に載っけてもらったり、ビラ配ったり、ネットで宣伝したり、全国に供給するために別の会社に依頼したり... そういうものはもはやノイズでしか無いんじゃないのか?

その点、レコードを作った人がいて、卸会社が有ってそこに情報が集まって、その情報からそれを仕入れて売るレコード屋が有って、そこに新しい物を常に探そうとする物好きが集まってるというのは非常にクリアーな情報の伝播の仕方なのではないのか?

だからここ数年はレコードの方がいつの間にか優れたフォーマットとなっているのだと言えると思う。

そして、レコードで出すというのは「レコード文化の火を絶やさない」という使命感など重いものなど無くなり、「こっちのやり方の方がいいからこっちで出す」というくらい普通にものに変わってきているのが現状だと思う。

プレス枚数が減っても受け取る人間の濃さは変わらない。自分が必要としている数はいっしょ。

レコードを買わない人にとっては、レコードが数百枚しかプレスされない、でもその数でもリリースされる音楽がたくさん有るということを知って驚いているかもしれない。でも、世の中にはもっと奥が有って、自分の作品をカセットテープでリリースしている人たちもいるんです。聞くためのハードルはレコード以上。もはや自分の音楽を人に聞かせたいのかどうかも不明だ。しかし、だからこそそんな音源の中から何かを探そうとする好き者がたくさん寄ってきたりする。そんな2012年の不思議な光景。