2009年6月26日金曜日

マイケルジャクソンとオバマ

かつてアメリカに買い付けに行っていて一年の半分近くをアメリカで過ごしていたことがある人間として言わせてもらえばアメリカに人種差別というのは確実に有る。ロスやニューヨークにいたらそんなことないかもしれないがウィスコンシン州だったりテキサスに一人でいたら差別されるなんて当たり前。そこでへこたれたら負けだ。それを受け入れてもう一度アメリカに接することが出来るようになってまず一人前。そんな風にアメリカを見てきた自分からしたら、自分が生きている間に黒人がアメリカの大統領になるなんて絶対に無いと思っていた。

ところが時代はあったいう間に変わって、それが今や現実。

マイケルがどんなに否定しても、彼が白人になりたかったのは間違いない。白い肌。ケツ割れアゴ、とがった鼻。彼の変わっていく容姿がどんどん彼の音楽をそのもの本来の価値="King Of Pop"から遠ざけてしまった。ここ10年近くマイケルのことを話す時人はなぜか「半笑い」だった。

50歳だったマイケルが容姿を白人に変えなければならないほど、背負わなければならなかった差別を今生きてる人の誰もが受け止めることが出来なかった。マイケルってのは生きている悪いジョークだとみんな思っていた。そしてオバマがアメリカの大統領の時代に肌の白くて、鼻のとがった黒人のマイケルはその存在自体が重すぎた。たぶん本人にも。

あとちょっと時代が違ったら、マイケルがJackson 5のマイケルの成長した姿のまま受け止めることが出来たのに。

でももう彼の背負った不幸は終わった。あとは彼の本来の姿="King Of Pop"の話だけをしよう。

2009年6月20日土曜日

黒船 番外編

ごぶさたしております。この不況のご時世にレコード屋を作ろうとしてしまいいまだに完成してません。ブログも更新出来ません。もう少しなんですが。

ということで今回はつなぎのブログです。

30を過ぎてから分かったのですが、ギターをうまく弾くコツは

「いかに音を出さないか」

だということです。ギターというのは弾きながら右手の甲で音をミュートさせる訳ですが、音をミュートさせて切ることによってかっこ良く聞かせることが出来るのです。

ガーガーガーガーと単純に弾くのではなくて、
ガーガッ・ガ・ガーガッ・と合間合間にミュートするとあっという間にギターがかっこよく聞こえます。

なぜかというとそこにリズムが生まれるからです。

パンクやヘビメタのギターが空間をとにかく音で埋めつくそうとするのに対して、音を切ってリズムを作る。そうしてギター、ベース、ドラムがそれぞれ作ったリズムを合わせるとグルーヴが生まれるのです。ここに至る意識の返還こそがまさに黒船襲来から開港に至る道筋なのですが、その話はおいおい。

なんにしろ「いかに空白を作るのか」ということに気付くことこそいい大人への第一歩ですし、いろいろな場面で適用できると思います。

2009年6月15日月曜日

Beat Bop Records 2が出来るまで 第3日目

前回のマッチやピンクレディーなどのレコードにはどいていただきました。なぜなら某所で人の目に触れぬまま10年以上保管されていたレコードが来たので。
この辺全部再発じゃないです
このMarva Whitneyもオリジナル。
まだまだ有る。もちオリジナル。
さらにかつてのパンクミニコミ「修羅」まで出てきました。
このレコード屋は実在する。

2009年6月10日水曜日

Beat Bop Records 2が出来るまで 2日目


前回のレイアウトが気に入らなくてやり直します。なぜかギターが・・・

SOUND BURGERもあるでよ

ターンテーブルとミキサーも来ました

レコードを置いたら少しレコード屋みたいになってきた。

肝心のレコードがこちら・・・・えっ?マッチ!?
このレコード屋は実在する。

2009年6月8日月曜日

(細切れ連載)黒船 その4

その後、ハードコアバンドの方たちと一緒に打ち上げしたりするようになってあの怖かった人たちがすっごい気のいい兄さんたちだったりするのを知って、ハードコアパンクの呪いも溶けてきたのですが(本当にしゃれにならないくらい怖い人もいましたが)、やはり中学から高校のくらいの時にハードコアパンクのバイオレンスと緊張の世界を「パンクって、大人ってこんななんだ」と真に受けて人格形成してしまったのはやはり問題が有ったようです。

何が悲しいと言っても中学~SEX PISTOLSやCLASHのオリジナルパンクには間に合わず、カジュアルなパンクも、メロコアも、マンチェもスミスもエクスタシーもレイブもゴアもOASISもブラーも渋谷系も、ヒップホップも、ダンスホールも、テクノも、グランジも、チーマーも、クラブも大人になってから知って、雑誌で今キているレコードとして紹介されている新譜が"20 Jazz Funk Classics"や"Flowers Of Romance"や"Seppuku"や"Penis Envy"や"Red Mecca"という時代を中学から高校時代に過さなければならなかったということ。そして当時、パンクという選択をしてしまったがゆえに夏でも鋲打ち皮ジャン、ダイエースプレーで髪を立てて電車に乗って屋根裏・LOFTへ行かなければならなかったこと・・・









正直、もっとましな青春ってものが有ったんじゃないのか?

と、思いつつ今40歳前後の人間で当時パンクという選択をしてしまった人の作る音楽や書いている文章を読むと他の世代と確実に違うのは世の中のモラルに対してからかってやろうという気持ちが基本に感じられること。いい歳こいて良識ぶったこと言ってる人間を嫌い、そんなもんぶっ壊しちゃえばいいんだよと世の中にいろいろ仕掛けてくる人たちが多いような気が。やはり青春時代に心に刻まれた"DESTROY" "DISORDER" の精神は生き続けているということでしょうか?

いつも心に鋲ジャンを。

2009年6月6日土曜日

Beat Bop Records 2が出来るまで


なんにもない空間に

棚を組み立てます

さらに棚を加えて


アンプやスピーカーをチェックして

組み込みます

下にも棚を作ってここにレコードを並べます

今日はここまで。
このレコード屋は実在する!

2009年6月4日木曜日

(細切れ連載)黒船その3

日本のハードコアパンクのバイオレンスの話を今の人にしてもたいていは
「そんなことが本当に有ったんですか?」と信じようとしないだろう。それくらい非日常的な空間がそこに存在していたとしかいいようがない。と言うかもはやどこまでが本当でどこまでが脚色されたものなのかをちゃんと確かめることも困難だし。東京の隣の千葉に住んでいたパンクの自主製作盤好きにとっては耳に入ってくる「初めて見る顔の奴はボコボコにされる」とか「モヒカンの奴が血祭りにされて病院へ送られた」とか「スターリンのバッジつけてたら殴られる」とかの情報に翻弄されるばかりだった。

しかしながら反戦・反核を唱えるハードコアがなぜにそのように暴力的になったのか今だとなんとなく分かる気がする。ハードコアの初期のアンセムとなったのがこのThe Exploitedの"Punks Not Dead"

つまり始まりの時点ですでに「パンクは終わっている」ものという扱いで、パンクがニューウエーブになって音楽的に進化しているというのが一般的な音楽観だったのだ。

パンクという新しい街が出来たと聞いてかけつけてみたが、そこはすでに取り壊された後の廃墟だったという感じ。せっかく自分がいれる場所が見つかったと思ったら、そこがすでに時代遅れだったと言われた、その絶望感があの頃のパンクにはつきまとっていたのだ。だから髪の毛をモヒカンにしたりや鋲を打った皮ジャンを着たり、あの人の神経を逆なでするようなハードコアな音をがなり立てるのだ。まだ俺はここにいるんだということを外の人間に主張するためにすべてに過剰になっていく。

内側の結束を高めるために暴力もどんどん過剰になっていき、過剰な暴力がさらに外の世界からの隔離を生んでいく。その後だいぶたってから「FIGHT CLUB」という映画を見たけど、あの殴り合いと社会のモラルへのツバ吐きによって自分たちを認め合うあの映画の世界はまるっきり当時のハードコアパンクそのもの。

そんなあらゆることに過剰にならざる負えない「空白期」しかなかった世代がハードコアパンクになのだけれど、ほんの数年後にはアメリカから非現実ではなく、生活の中、日常の中のパンクが輸入され、短パンはいてスケートしててもパンクでいられる時代が来るのだがこの頃はそんなことになろうとは夢にも思わなかったよ。

2009年6月3日水曜日

(細切連載)黒船 その2

今のヒップホップのファッションやスタイルの起源がRUN DMCだとすると、ハードコアパンクの起源はDISCHAGEの"WHY"にさかのぼります。



それまで人気だったSPKやTHROBBING GRISTLEなどのノイズ、インダストリアルの絶望感を高速リズムでぶっ飛ばし、非武装・非暴力のメッセージをぶちまけたハードコア・パンクはSEX PISTOLSやTHE CLASHのパンクの流れから突然生まれたミュータントとしてあっという間に一部に支持されていったのでありました。

そして日本でもハードコア・パンクのシーンが生まれることになるのですが、その非武装・非暴力のメッセージを唱えるハードコア・パンクが、かつてないほど暴力的なものになっていくのですから不思議なものです。