2009年7月4日土曜日

黒船 もう何回目か忘れた

そんな感じで、ハードコアパンクにのめりこんだばかりにその後の人生が狂ってしまった男の回顧録・・・・ でしたっけ。間が開き過ぎて忘れてしまいました。

かっこいいと思っていたハードコアでしたが、意外と早く終末を迎えました。ハードコアが終息していった原因はいろいろありますが、あまりにもバイオレンスすぎてライブが出来る場所が無くなった。ハードコアの精神的支柱だったDISCHARGEがあっという間に分裂してしまった等々ありましたが、しかしなんと言っても大きかったのは自主製作盤がインディーズになって、それまで築き上げてきたものを全てを焼き尽くしてしまったから。

インディーズと呼ばれるまでの自主製作盤シーンなんて、
「俺は東京生まれ、パンク育ち、インディーな奴らとはだいたい友達」
という感じで、ひとりと友達になるとその人の紹介でインディー業界のパンクな人たちとつながることが出来たもんです。そのころの自主製作盤といえばA社とB社が仲が悪いというくらいで、とてもせまい世界の中にみんないたもんです。

例えば、ライブをブッキングするにも電話で
「×月×日にライブあるんですけど、出てもらえますか」と言えば、テンションの低い声で
「あぁ、大丈夫です」と答えてくれて、別にギャラの話をすることもなく本当に当日機材車に機材を積んで来てくれてその日のギャラが数千円でも喜んでもらったものです。

ところがある日突然、そこに知らない人間がたくさんやってきました。PCMだの、エジソンだの、オールディーズだのを名乗る人たちがやってきて、
「うちのXXXXを出すだったらトリじゃなければ出ません。」だの
「ギャラは30万ください」だの言ってきたのです。

そしてあっという間にインディーはぶっ壊れました。はっきりいうと金でね。

その後のインディーはメジャーに行って一旗揚げる組とお呼びがかからない組とに分かれてしまいました。その頃は、楽屋によく出入りして裏側からいろいろなバンドを見ていましたが、メジャーからお呼びがかからないバンドはまるで置屋の芸者みたいにどんどんスレて、ほかのバンドの悪口ばかり言っていたもんです。

そしてそれを見ながら正直、
「かっこ悪い」と思っていました。

それから数年後、日本のヒップホップの黎明期を横から見ることになった訳ですが、その時もハードコアなヒップホッパーがスチャダラパーをけなしたり、ブッダブランドの悪口を言っていたりする現場に出くわしたのですが、その時にこのインディーの置屋を思い出したもんです。そして、
「いつか今の自分がしていることをかっこ悪いと思うよ。それよりも自分が出来ることをしてればいいじゃん。自分が正しいことをしていれば必ず報わるよ」と心の中で思っていました。